東京大空襲

IMG_4167reien.jpg

下町の悲惨な状況がいつも報道されるが、
我が家のあるこの地域も、3月10日の空襲で被災している。
宿六も焼け出されているが、焼け残った家もある。

杉並の方に住んでいたという友達は、5月の空襲に遭っている。
「東京は、3月10日だけじゃないのよ」
と彼女は、報道に不満を持ってるようだ。

横浜にいた私も5月だ。
母に背負われて逃げた、そんな歳だったから記憶はおぼろげだが、
焼夷弾の落ちてくる沢山の赤い線が目に焼き付いている。

この間の音訳勉強会での教材で、桂歌丸さんの生家も横浜で、
同じ日に空襲で焼かれているらしいことを知った。
やり手だったおばあさまは直ちにバラックを建て、事業を再興する。

しかし、我が家はそうはいかなかった。
祖父が築いた店のあった一帯は接収され、米軍の病院が建てられ、
再建は諦めなくてはならなかった。
母は、何時か横浜に帰ると言いながら、
94歳の生涯を終えるまで果たせなかった。

3年前の震災が、どうしてもあの時代を、
あのときの家族のやりきれなさを思い起こさせる。

よく遊んでもらってた近所のお姉さんの一家は、爆撃で全滅したなど、
そうでなくても、親しかった人たちは散りじりになって消息知れず。
外地にいた父も戻ることはなかった。

祖母の兄の新しく始める事業を手伝って欲しいという誘いに、
静岡に居を構えることになり、私がその地で小学校に入学したのが、
焼け出されて間もなく3年経とうという春だった。

声高に叫んでみたって、戻ることも先に進むことも出来やしない。
共感など同じ体験を持つ者でなければ出来るわけがない。
勝手に寄り添われても迷惑なだけだったりする。

すべては1人1人の心の内にあり、
それぞれが良心に従って生きていくしかない。

先頃、被災地から我が家を訪れて下さったご夫妻が、
ほんの一時でも安らぎを覚えて下さったなら嬉しいと思う。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

空襲!

御無沙汰しています。
やっと落ち着きましたので、少しずつコメント入れさせて下さい。そして、また宜しくお願い致します。

空襲って、全然知らないし、両親も昭和20年代半ばの生まれ、滅多にそんな話ししませんが、一度だけ、父が祖父そして曾祖父の話をしてしてくれたことがあります。

私の田舎は、栃木と群馬の境目、曾祖父は当時軍用機を作っていた中島飛行機の技術屋さん。東京とか大都市は焼夷弾で焼かれたようですが、軍用工場だったので、焼夷弾じゃなく、大きな1㌧爆弾が落ちてきて、工場を破壊していったとか、廻りにあった防空壕も、1発の爆弾で大きなクレーターと化し、工場のコンクリートの壁に、人間の肉がへばり付いていたとか。また、祖父はクルマで走行中、戦闘機の機銃掃射で追いかけられ、どぶ川に飛び込んで見上げたら、機体にポパイの顔が描いてあったとか、以来、ポパイが嫌いになったとか。そんな話しをしてくれました。

因みに、曾祖父はB級戦犯として、巣鴨プリズンに収監されて、池袋近辺の道路工事に従事させられていたとか聞きました。大変な時代だったのでしょうね。ちょっと想像が出来ないので、コメントのしようがないです。御免なさい。

Re: 琴ちゃん

早速コメントありがとうございます。

あの時代を生きた人は、皆それぞれ辛い記憶をお持ちと思います。
私の記憶など、欠片みたいなものですが、
それでもあの時代を描いたドラマや映画を見ることが出来ません。

巣鴨プリズン跡も今やサンシャインシティ。
毎日毎週ビックリするほどの人が訪れて楽しんでいきます。
いい供養になってるな〜、と私は思います。
プロフィール

chiara

Author:chiara
古稀を大分過ぎたというのに
まだドタバタドタバタ
8人家族のタベモノガカリ
iMac、MacBookAir
iPhone、iPad miniで遊び
時々地元点字図書館の音訳ボランティア
時々地元のまちづくりに顔を出す
建築学科出身のオバーサン
愛車ミニは'91年のキャブ車
今やペット化しつつあり
時々愚痴ります喘息&逆流性食道炎

画像満杯で逃げ出した旧宅は↓
LA STANZA CHIARA

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
最新コメント
ポチッとよろしく!
リンク
カテゴリ
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
RSSリンクの表示
月別アーカイブ
検索フォーム